地震と火事・江戸のお触書-小咄-まぐろぐ
地震と火事・江戸のお触書-小咄
●3.11の「東日本大震災追悼式」にちなみ、
火事や地震が頻発していた江戸ならではの経験と知恵を、
小咄として述べます。
○明暦の大火
「この度、火災により、
火賊あるいは奸計をもって悪事托する者あらば、
訴え出べし」というお触れが、
明暦の大火のときにだされて、
その褒美として金20枚が与えられた。また、
火事騒ぎの最中に、
金銀や諸道具を拾ったのに
奉行所に届け出なければ、盗んだとみなされた。
大名火消し
こういうお触れがあったということは、"火事場泥棒"はいたというか。
○江戸時代-天和3年のお触れ
「火事のとき、地車ならびに大八車に荷物を積んで逃げてはならない」
と書かれている。
とにかく一人ひとりが身一つで逃げろと命じている
- 荷物を積んだ大八車が、
人の逃げ道をふさぎ救援の邪魔になるからだ。
○将軍綱吉の治世に起こった大水害
「前々からのお触れを出しているとおり、買い置き、買占めをしてはなら
ない」-米不足への対処。
○宝永年間の富士山の噴火-現代への教訓-Wiki
激しい地震による家屋の倒壊に加えて、
火山灰が田畑に数尺も降り積もったために、
甚大な作物不足という被害となった。
そのときの幕府は、
「武蔵、相模、駿河の村里を救うために、
各国に"役金"を命じる」とのお触れを出して、
100石につき金2両の負担を強いた。
この際に集まった金は、48両にも上るという。
○天保の大飢饉-江戸四大飢饉
天保の大飢饉のときは、
幕府の備蓄米を一斉に放出し、
諸国の米問屋にも江戸に米を廻すよう命令している。
農民たちに「米を寄越せ」と江戸町人が言っているようなもんだから、
その身勝手さは、首都圏が電力供給を福島に委ねている構図に似ている。
☆安政の大地震など-参考文献-情緒論か
"魂が漂泊している"→歴史を学ぶ
○振袖火事=明暦の大火
復興や振興に力を注いだ幕閣といえば、保科正之であろう。
江戸城の天守閣を失い、
江戸の大半を消失した大火災の復興のために、
保科正之は全力を尽くした。
災害時には、救助、救援、復興、振興の段階があるらしいが、
延焼防止のため道路の拡大や火除地を作った。
さらに、埋立地には新たな
町を作る計画を立てて、「防火防犯都市」を作り上げた。
○八重とコラム・会津の偉人達
- 作家・司馬遼太郎によれば、
幕末の日本トップの教育藩と喝破していた→
「藩校・日新館」
- いつの時代でも日本は、
「教育立国」でしょうか(北の漁師)。
まぐろぐ
H25 2013-03-12 1540