あまちゃん・久慈琥珀・三船十段-日記-まぐろぐ
「甘ちゃん」効果で全国から観光客が、
岩手県久慈市・「海女センター」を、
訪れる人達がひきもきらない。
7月には「海女の素潜り実演」が始まる。
本ブログは観光客の皆さんの情報源として、
「北限の海女」、「久慈琥珀」、「三船十段」など、
三陸沿岸の北部を紹介します。
次いで、北の漁師の流儀から、
「済州島の海女」の風景を記します。
☆ あまちゃん・小袖浜の海女たち
○海が冷たい-親潮系冷水/ガス(濃霧)がかぶる
見えないウニ(カゼ)
親潮のため体温低下に悩むあまちゃんたち。
かなりの体力消耗だ。
伊勢など南の地方はまだいいいほうだ。
南部人の特性で、「我慢強い」
"耐久力が男に優る"ことになる。
女は子供を産む役割を神様から与えられたので、
その分長生きするらしい。
- 海女(アマ)くないあまちゃんの現実
-済州島の海女・出稼ぎ
◎海女は日本人にとっても身近な生活文化である。
有名な志摩半島だけでなく、
日本各地に海女の伝統は今も残っている。
女の稼ぎが男を上回り女が生計を支えるという生活は、
日本の漁村においても共通である。
○男(亭主)どもは「沖漁船」で稼ぐ
その昔、アワビ・ウニなどが豊富だった頃、
家の前(前沖)には時季の魚が寄せ来る漁り(すなどり)
鰯、鯖を追って生産組合を作り、
「巾着(旋網)漁」に精を出しあるいは雇われて、
県下各浜に出ていった。
小袖浜には30トン位の「小袖丸」という組合があって、
三崎地区の浜はこのようなシステムで、
生活が営まれていた。
○南部潜り-種市高校「海洋開発科」
◎種市の"天然ホヤ漁"-「イーハトーブログ」
- よく聞くはなしとして、
"潜りの稼ぎは歩いていては商売にならない、
海の中では駆け足で仕事をしろ" と。
種市前沖の漁場は、
水中ブルドーザーを入れて「畑のように畝」をこさえてある。
これが今の安したホヤ漁となっている。
うっかり船を寄せられないくらい浅い海。
相当の沖まで浅く広大な畑なのだ。
小輩共が若い頃の施策、
[http://www.pref.iwate.jp/magazin/igraph/0407/iwate_isan.pdf:title=南部もぐり・先人の労苦]かくの如し-pdfです
なぜ南部のもぐりはそんなに働くのか、
それは「米の飯が食えないので食いたくて」-"ハングリー"
平素「銀しゃり」が食えないから"兵隊に征きたい"。
このような生活感があった。
まだ生きて還った人が少なからずいるし、
環境が許さないと思う。
命がけで"家族総員-ワカメ採り"-海没せるまぐろぐ
- 生ホヤ丼-「はまなす亭たねいち産直店」
◎"ホヤの身汁"で「夏ナマコとアワビ」を一皿に、
三色併せてビールとともに-絶品の昔のグルメ。
警察に怒られるのでこんなところで。
☆ 琥珀の魅力・岩手の『パワーストーン』
○「久慈琥珀と平泉」・世界遺産平泉
- 国内最大の琥珀の産地である久慈地方
久慈琥珀は、
今から8,500万年前の地層から算出され、
宝飾品などの加工に使われている琥珀の中では、
世界最古といわれている。
- 『佛説無量寿経』という教典では、
"「佛国土」は、
金、銀、瑠璃、珊瑚、琥珀、シャコ、瑪瑙(めのう)などの、
宝でてきている"という記述もあり、
"中尊寺金色堂に安置された「藤原秀衡公」の棺には、
久慈産とみられる「琥珀の数珠」が入っていた"といわれる・
- また、奈良県を中心とした有力者の古墳からも、
久慈琥珀を使った『勾玉(まがたま)やなつめ玉』などが、
多数出土している。
交通手段が発達していない時代に、
奈良まで運ばれた琥珀。
琥珀を運んだ道は「アンバールート」などと呼ばれ、
当時の久慈琥珀の重要性を物語っている。
○[http://kohaku-street.seesaa.net/:title=こはく街道観光情報ブログ]
-「久慈パソコン工房パスイーグル」
地元人の見応えあるブログです。
-[http://plaza.rakuten.co.jp/tsunkun/diary/201203180000/:title=久慈・琥珀丼]-「ひなちゃん 週末の旅」
※北の漁師の老婆心・アドバイス
ガス被り・海上濃霧警報
「三月中旬〜入梅明け」まで視界が悪くなるので、
落胆しないよう天気情報に留意されよ。
マイカー利用がベスト→時間の無駄がない。
その際のバス運行など十分研究が必要。
北限の海女・海女センター-「きてきて久慈市」
☆ 久三十段の春秋とエピソード
○あの頃小一の夏休み前三船十段が来校
-「柔道の神様と呼ばれた男」
- 中学校も同じ校庭を使用していたから、
"男わら"すはほとんどが柔道部だったので、
早速校庭に畳を敷いて演舞を待つことしばし。
なにしろ急のこととて、
待ったなしの授業中止。
しめしめ勉強はやらないことになった。
三陸沿岸は皆格闘技。球技は野球ぐらいあと体操。
全校生徒固唾をのんで観覧。
内容は忘れたが校庭での柔道は初めてだった。
○久三十段師範の人となり・エピソード
- わらすの頃はとにかく負けず嫌いの悪童。
家の周りの山とか野原が遊び場。
『くんのこ』が久慈地方の方言
このくんのこを採りにいつもの山でない遊び場があった。
ここも彼の縄張りで、それが勢力の表れ。
くんのこを何とはなしに"普通の石じゃない"と思いながら、
彼等悪童の遊び道具だった。
高い石とは知らず仲間にくれたり貰ったり。
○一関中学〜仙台二中-講道館柔道に眼を奪われる
- 「久三十段の没後の夏岩手日報に約半年の間掲載された資料」
から想い出すままに筆を執ります。
これら資料は日報に問い合わせても、
十段記念館に訊いても
見たこともない聞いたこともないと、おかしい。
資料の中には、
「隅落し」"開眼"したときのシチュエーションなど、
興味深いエピソードがあったのに。
幻となりしか。
「対仙台二高戦の十人ごぼう抜きの十の技使い」、
「帰郷するときの盛岡での"元新選組の柔術師範"との稽古で、
さすがに勝つことはできず、その負けっぷりのテクニック」
「盛岡からは徒歩で山道を、その途中の"山賊との対戦」など。
☆ 済州島の海女の風景-北の漁師の流儀
○島の南部の中央部「西帰浦(ソグィボ)」-一夜錨泊
- "10m等深線"-〜 in depth 15m of water with 7shackles.
の沖側に投錨して、調査官の慰労。
- ゆっくり休んで翌朝早く眼鏡で陸をながめる
海女さんたちが沖へ泳いでくる、
よく見るとタイヤのチューブが点々と浮いている(距岸500m)。
真ん中に網袋が付いたアレなのだ。
- それにしても辛抱強いもんだと感心。
パワーの低下が心配だ。我が国なら"船外機(サッパ舟)"なのに。
頭が下がる思いがよぎるし他人事と放っておけない。
まぐろぐ
H25 2013-06-21 0550