1.200本マグロを釣った船頭・聞き語り-日記-まぐろぐ
1.200本マグロを釣った船頭・聞き語り-日記
"数ある船頭の中には「魚が釣ってくれ」というぐらいの、
天性漁る名船頭がいる。
今話題の先島諸島から北は利尻・礼文島の武蔵碓まで、
日本サイドの漁をこなす漁撈人だ。
マグロといえば「クロマグロ-シビ」
漁師は腕を磨き、それぞれの漁の仕方で漁具を工夫・改良し、
魚がいると聞けばどんな遠くでも、
少しぐらい荒れていてもためらわず船を出す"
大漁船頭の漁撈、漁業の聞き語りです。
☆ 「紀州流のマグロ漁」-十二年前の正月末
○紀州流とあるからには串本の漁人?
- 紀州の漁師は日本の隅々まで魚を追っていった。
そしてその漁法を各地に伝えた。
"房総の漁師も、三陸の漁師も"、
紀州の漁師たちの漁法を知って、驚き、
その漁法を教わった。
浪が入らず若い衆が流されず-19トン型
- では紀州の衆へはどこから伝わった?
名だたる"黒潮本流"が最も接岸する串本の地。
あれだけ潮が争うあの海区、
14ノットの船が19ノットちょっと跳ぶ。
本流でなくてもこのありさま。
潮岬沖で何かあって機関故障など、
一晩船が流れると翌朝は房州の勝浦だ。
紀州の勝浦から流れ流れて、ということになる。
○『明石の鯛』-「潮の競る地域の漁師たちは腕がいい」
小輩どもも当然のこととして聞いている。
明石の鯛は身が締まって一番-古い漁りの一つ。
- 古代の我国では、鯛は朝廷への貢献に用いられていた。
鎌倉時代以降、武士階級が台頭すると、
鯛の見栄えする姿形がますます好まれ、
室町時代には鯛を上物とする和食の習慣が定まった。
その後、「めでたい」などの語呂合せに意味を求める風習や、
赤い色を貴色とする仏教や儒教の影響も加わって、
江戸時代には「魚の王」とまでもてはやされる様になった。
鯛は、我国の食習慣と美意識にかなっている上、
美味であり、まさに三拍子揃った魚である。
よく桜鯛などと呼ばれる春は、
産卵直前のメスよりオスのほうが旨く、
晩秋の紅葉鯛と呼ばれる頃では、
オスもメスも脂がのりつつも上品な味となる。
≪俎板(まないた)に 鱗ちりしく 桜鯛≫ 子 規
探せば文献にあるのかもしれないが、
おそらくは、
「明石の瀬戸-但馬・兵庫湊・岩屋湊など」から、
紀州へ伝承された-北の漁師の流儀。
- 沼島の海人-「日本で一番最初に生まれた島〜おのころ島伝説」
※「沼島の衆ならば」-卓越せるその航海術
淡路島の南至近にあるそれの十分の一にも満たない小島。
"彼らが漁撈の伝承に関わっている!"
☆ 日本近海所狭しと釣りまくる
- 水温計を導入して「潮溜まり」を探して、
延縄の場合は流れを股にかけたら縄が切れる。
だから、この境目を乗り切って魚のいるところを探し、
黒潮本流に縄を流す。
○まぐろ漁の年間の漁期-スケジュール
- 一月から始まって六月まで"家の前(前沖)"の漁。
- 五月の連休を過ぎると
産卵のため卵を持つから肉質が悪くなり値が下がる。
それで沖縄、大東島へ出漁する。
一航海七回の操業で四七本のまぐろ獲った。
満船で帰ると水揚げは多いときで一千五十万円。
良いときと悪いときがあって、
年間一億ぐらい揚げた。
「昭和五十二年十九トンの船で、
一億というたらそりゃ凄いで」
六月過ぎると船の整備をし、
七月中頃三陸マグロ。十月いっぱいまで。
それからメカジキ(200〜300kg)混じりで、
雪が降り始める十一月頃切り揚げる。
○それをずうっとやって津軽海峡大間沖へ
- 釜石の問屋から聞いて、
昭和四十六年ぐらいやろな。
- 一番最初に入ったときは八月末やったな。
そうしたら釣れたんや。
それで釜石へ全部陸送した。
北海道とか大間に揚げても安いからな。
大畑の岸壁から陸送したんや。
☆ 日本海に入り松前の大島・小島 北上して積丹
さらに天売島を経て利尻・礼文まで出漁
○「武蔵碓」のこと
- かなり広い浅処・海面からのぞくと底が見える?
すなわち自然礁-好漁場。
北海道の漁師から見れば「内地船」というわけ。
地元では死活問題だと騒がれ、
「漁業調整」という枠をかけられ-「委員会指示」となり、
実績があるため「宗谷海区」の許可が下りた。
北海道はマグロが回遊魚という感覚がない、根付きの魚だ。
- 羽幌の漁業組合とコミュニケーションをとり、
"水揚げが上がって職員のボーナスも上がり喜ばれた"。
「市場口銭」が入るし。
○私は北海道へ行って、確かに魚はものすごく獲った。
- 相当トラブルもあったけど、
"単価を上げた"ちゅう功績もある。
マグロの取り扱いや何やら教えたもんだ。
- 地元船を教導して「船団長」となる-船団操業
羽幌を基地として前沖の武蔵碓で「漁果」を揚げる。
マグロが跳ねている、餌は何だろう。
早速腹を割いてホッケが出てきた。
そこで餌はホッケと決まる。
ホッケは食っては旨いけど、"海のゴミ"。無尽蔵。
○一隻で二十五本のマグロ-一日当たり八百万の水揚げ
- このときは、一千四百六十万ありましたわ。
あのとき弟にいうて水夫(かこ)に祝儀やれっていうたね。
みんな札幌へ行ってこいていうての。
マグロはそんなに大釣りしたら次の日は時化や、
弟はわしの後継いで、船頭やって未だに行っとるもの。
☆ 聞き語り・まぐろの産卵を見た-沖縄・中城湾の沖
- この北海道のまぐろはどこから来るのか、それがね、
わしもはっきりしたあれはないんやけれども、
いろいろ調べてみたら、
日本海から来るやつと、太平洋から回ってくるのと、
二通りあるというんやね。
- 日本海のはだいたい七月、八月佐渡あたりにおる。
卵持って肉質悪いから放っておいたって利尻まで来るんやから。
天売まで来たときに獲ろうやって、そうしたら
一本八十万にもなるンやから、そう思った。
[2,000円・焼津船元のネギトロ]-「海旋の福一丸」
http://item.rakuten.co.jp/fukuichi/ys02/#ys02
2,680円・たっぷり25尾・旬サンマ-「海の幸なのにYAMATO」
○マグロは一遍に産卵はせんのです
- ちょっとずつちょっとずつするんです。だから、
おそらくあちこちに子供がいるでしょうな。
太平洋岸の六月のマグロていうたらロケットみたいなやつ、
もう体太くてパンパンやで。
- 私はまぐろの産卵を見ましたで。
沖縄に中城湾という所があるんです。
そこで凄いまぐろの群れに会いましてな。
グラウンドぐらいの周りを、
何百というマグロが背鰭を立ててグルグルグル回っとる。
何じゃろうかなと思った。
"そうしたら、一匹のマグロが「腹寄せ」してね、
そこらがなんか白いような感じがするんやね。
「白子」かけとるんや。
腹の下にぐーっと、
あの大きな二百キロも二百五十キロもあるやつが、
こんなしておるで"。
私がまぐろの産卵を見たのはそれ一回だけやわ。
何百という群れやった。
※今の大間の「マグロ曳縄漁」はこの船頭がした仕事です。
漁撈長の資格と人間関係-大型船の日本一
まぐろぐ
H25 2013-08-07